65.物神崇拝
こんにちは。
岐阜の激安ホームページ制作会社K&Kスタジオの“ブログ”を担当しております、格安太郎でございます。
物神崇拝について考えてみたいと思います。
物神崇拝は、コトバンクでは次のような記述があります。
もともと人間労働の生産物である商品・貨幣・資本があたかも独自に運動するかのようにみえ、それを当然とする意識が生みだされて人間が支配されること。
※引用コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E7%A5%9E%E5%B4%87%E6%8B%9D-125190
物神崇拝とみると、なにか宗教的な響があると思いますが、もともとは、いろいろな宗教にみられた、石や木などの物質に対して神秘性を見出して、崇拝の対象としていたところから、経済学用語へと発展したと言われています。
物神崇拝には物象化、すなわち、社会的な分業によって、生産された過程で、商品が生まれたその背景をみることなく、目の前の商品の個数や価格、原料からどれだけ生産されるかなど、商品と商品の関係にスポットをあてて、その結果、あたかも商品がそれらの属性をすでにもっているかのように錯覚してしまうことになります。
ホームページ制作も、実は多くの過程を踏むことによって、生産されます。
安いという属性についても、いろいろな工夫を用いることによって、行われます。
例えば、一人当たりの制作にかかる時間を、スキルによって省くことで生産性を高めるであるとか、あらゆる無駄を省いてサイトづくりを行うなどしているわけです。
つまり、そこには必ず人間が存在しているわけであり、人間と人間同士の社会的分業によって、あるいは人間-社会関係にもとづいているなされているわけなのです。
ここでひとつ覚えておいて欲しいのは、労働生産物とは、労働、すなわち一時間を単位として、どれだけ生産することができるかによって、交換比率が決まるといわれ、これは「労働の生産性」とも呼ばれ、労働の生産性が上がれば、必然的に価格を安く設定できます。
1時間に20個つくれるか、1時間100個つくれるか、この両者の生産性に注目すれば、後者の方が価格としては安く設定できます。
物神崇拝では、この現象が、ものに、あたかも前から備わっているかのような錯覚がでてきてしまうのです。
だから、ホームページが安くなるのは、そもそもホームページが安く作れるから、という物神崇拝的な思考で見てしまうと、その背後にある人間の生産や分業の成果という部分がぼやけてしまうのです。
このような考えに陥ってしまうと、商品が交換可能というのは、商品自身がそもそももつ自然属性だと勘違いすることにもなってしまい、実際のところ、物が売れる、交換が可能であるのは、商品の背後にある、人々の労働による源泉からでてきているというのが見失われてしまうのです。
生産物とは決して、「それ自身の生命が与えらる」わけでもないですし、「人間とは独立した姿」であるわけではないのです。